渥美線神戸駅

復活した神戸駅。
運行休止45年後に何故か復活した渥美線神戸駅の知られていない3件
を中心に紹介していきます。

愛知県豊橋市の「新豊橋駅」から終点「三河田原駅」まで
運行されている【渥美線】

このブログで分かること

1.駅運行休止45年後に復活した渥美線神戸駅の知られていない3つの事。
①神戸駅の忘れさられた過去。当初の駅が昭和19年に休止しています。
②神戸駅復活の理由。大規模な住宅開発により最寄り駅が必要になりました。
③消えた引き込み線を紹介します。セメント会社撤退により
分岐線路が不要になり撤去の運命を辿ります。

【単線電車渥美線】「神戸駅」での動画を紹介します。

新豊橋駅から来た電車が神戸駅に停車します。
線路がカーブしているので突然現れる感じです。
電車が来る前に踏切の警告音が知らせてくれます。

 

【単線電車渥美線】神戸駅の今。

新豊橋駅から15番目「神戸駅」です。

1944年駅休止から45年後の1989年(平成元年)7月に
過去の駅から移動して旅客駅に昇格しました。

元小野田セメント専用の神戸信号所を神戸駅(2代)
として復活しました。

神戸駅入って正面に改札口があります。
簡易改札機、それなりに目立つ。

Suicaカード受付機。無人駅です。
線路ホームに雨がしのげる待合室があります。
昔はなかったので進歩です。

駅舎の外には
神戸駅正面左には駐輪場があります。

屋根があり結構親切です。
雨の時、夏などは助かります。

神戸駅正面左、ロータリーではありませんが
乗り降り場のアスファルト舗装の広場があります。
乗用車なら十分旋回できる広さです。

神戸駅は電車だけでバス停はありませんが
国道259号線まで歩けばバス停があります。
少々距離あります。

神戸駅にトイレはありません。仕方がないです無人駅ですから。

駅運行休止45年後に復活した渥美線神戸駅の知られていない事3つ

【単線電車渥美線】神戸駅の忘れさられた過去。

調べてみて分かったのですが昔、鉄道開業とともに
神戸駅(初代)は設置されたのですが
現在の駅よりも500m三河田原よりにあり書類上特別扱い
1944の休止、1977年に廃止されています。

田原駅から鉄道橋を渡り神戸駅まで向かう渥美線です。

標準倍率で撮ると遠くて見えません。

この先ゆるい左カーブの向こう側に
当初の神戸駅の場所があります。

現在の神戸駅500m手前には
昔ながらの神戸町の家並みが立ち並んでいます。

当初神戸駅があった付近、地図上田原駅から来ると
緩い左カーブの場所にプラットホームがありました。
付近写真です。①

付近写真です。②

私は、以前から何故こんなところに神戸町の
町並みがあるのだろうと疑問でした。

現神戸駅が出来るまで、上記の一画①・②をはずれると
周りは田んぼと畑ばかり。

理由は旧神戸駅にあったのです。

図書館で調べる前に
「旧神戸町駅」の場所を知りたくて、あったとされる付近で
地元の金物店のご主人に聞きました。

昔、当初の「神戸駅」が船倉橋付近に
あったようですが、場所をご存知ですか。と

聞いたのですが
ご主人曰く
今の神戸駅ができる前は
「田原駅」の次は「豊島駅」じゃないの?

と言われ
全くご存知ない様子。

私が、昭和19年に休止するまで
当初の神戸駅がこの付近に
田原駅開通時からありました。
と説明しましたが、「えっそうなの知らない。」
との返事。

仕方がないので、お礼を伝え店をでました。

初代神戸駅休止の1944年は、昭和19年です。

その時代に「神戸駅」の機能を
ストップしたわけですから
60~70代と思われるご主人では知らなくても
むりないでしょう。

田原市図書館で、図書館の書士さんに資料探しを聞いてもらい
探してようやく分かりました。

地図は、名古屋都市センターのHP
「まちずくり情報システム」で調べることができました。

昭和2年から29年の地図にしっかりと載っていて
確かな証拠です。

当初あったとされる
「神戸駅」は、渥美線が「田原駅」を出発した後
すぐに鉄道橋(清谷川)を渡り
神戸側に入って緩い左カーブする場所にありました。

上記①と②の写真の場所です。

現在の神戸駅は
私の記憶の限り周りは田んぼや畑だらけで
小野田セメント工場(2002年に閉鎖)への
専用線分岐信号所として設置されていました。

地図で確認も出来、その通りでした。

神戸駅復活の理由。

「神戸駅」の付近は、住宅以外特にありません。
神戸駅は新たなる宅地造成により
生活者必要駅として生まれ変わる事となりました。

小野田セメント専用の神戸信号所を神戸駅(2代)として
1989年(平成元年)7月に旅客駅に昇格したわけですが
これも何故駅を増設するのだろうと思っていたら
宅地造成工事が始まり出し、納得しました。

いまではちょっとした町並みです。
駅付近に商業施設は無く
アパートも含めた住宅地ばかりです。

平成元年同じ頃
田原駅から少し離れた赤石地区の宅地造成も行われました。

赤石地区について、宅地造成はもちろんですが
商業施設や渥美病院が移転されています。

これもなんとなく納得しました。神戸駅付近は
昔の神戸の町並みを間において
赤石は宅地と病院も含めた商業施設を導入し
トータルで一つの街にしたかったのでしょう。

出来上がった街(神戸駅付近から赤石地区)は
田原駅にも神戸駅にもアクセスが良いです。

それまでは、三河田原駅から田原城付近が
田原の中心街でしたが
もう一つの街ができた。そんな感じです。

大掛かりな地域の一大プロジェクトだったとおもいます。

それでも宅地不足と言われるのは
多分住宅を求める進出工場系の従業員さんが
多いのではと思われます。

トヨタ系進出前の田原市全域人口は3~4万未満人
(旧田原町、赤羽町、渥美町の全域)。
トヨタ系進出後、ピークは6万人超え7万人に届きそうな
勢いでした。凄いことです。

独身男性が多いとはいえ、家族で来ている人もいます。
又、いずれ結婚で家庭を持つ
そうなれば、宅地の需要が増えます。

又、豊橋でも進出企業が多くなり
豊橋市から田原にかけては
自宅建設ラッシュが起きました。

宅地造成は
豊橋寄り、田原寄りそれぞれ進み
渥美線沿線駅は昔と比べ様変わりしつつあります。
その中でも神戸駅は宅地造成により
生活者必要駅として新しく生まれ変わる事となりました。

消えた引き込み線を紹介します。

昔、小野田セメント(旧三河セメント)田原工場への
専用引き込み線がありました。

専用引き込み線用の分岐信号所がある事は
当時、大変意味あることで

1930年(昭和5年)セメント専用線が
敷設されるのは時代背景からして
基幹産業の一つだったということです。

小野田セメント専用線をたどって行きます。
下記写真を見ると電車の後ろにケーズデンキ店が見えます。
その付近から分岐してました。

上記の動画は、で森から出てくる場所のシーンです。
ちょうど森から出てきた付近が分岐点であり
分岐点から国道側に折れます。

田原側から観ると
この付近で左に折れ、元小野田セメントに向かっていました。
線路は残っていませんが現場をみると
分かりやすい地形です。

旧国道259線を突き抜けて約900m先の
元小野田セメントまで線路がありました。

障害物なしの長い直線は見事なもので
驚きます。

元々は「三河セメント」で
昭和18年に「小野田セメント」に合併されました。

セメント会社は長い時代を通して重要な産業でした。
そのおかげで、当時の田原駅の付近は
賑わいがあったそうです。

特に、昭和30年代の高度経済成長期の事が
郷土資料に掲載されていました。

廃線・廃線を辿る。

三河田原駅付近には忘れ去られた元神戸駅だけでなく
廃線・廃駅もあります。
私がオススメするのは
あまり知られていない廃線・廃駅を辿ってみるのも楽しいです。
神戸駅からなら徒歩でも十分行けますし、三河田原駅で下車し無料レンタサイクルを
利用するのも良いです。
観光しながら発見気分を味わえますよ。
1.廃駅の元加治駅。
2.廃駅の元黒川原駅。

神戸駅付近の産業・商業・学校等紹介します。

産業については、トヨタ系になるでしょう。
これが誰でも一番分かってもらえます。

商業については
神戸駅から、方角南西徒歩で1kmぐらいになりますが
ヤマナカ田原店があります(食料品スーパー)。
食品ならほぼ揃いますので便利です。

神戸・赤石地区の住民なら徒歩もしくは
自転車で毎日買い物にいけますので
ホント便利です(流石に都市住宅開発の基本です)。

方角として北側方面1km先にも食品スーパーの
ゲンキー大坪店・フィール田原店
さらにその先400m行くとイオン田原店(パオ)があります。
神戸駅の半径約1km以内にスーパーが何店舗もあります。

もっと便利なのが
ヤマナカ田原店のすぐ近くに、移転した渥美病院があります。
十分徒歩圏内です。

移転する前は、田原中心部にありましたが
手狭な感じはありました。

渥美病院は総合病院ですので
老朽化による安全性確保が必要だったのでしょう。

ヤマナカ田原店と渥美病院が徒歩圏内にある
新興住宅地神戸・赤石地区は住宅建てるなら
検討したいエリアとなります。

国道259号線がヤマナカ田原店、渥美病院のすぐ近くを通り
これまた、アクセスも抜群の良いです。
さらに保育園、神戸小学校とも徒歩圏内にあり近くて便利です。

まとめ

駅運行休止45年後に復活した渥美線神戸駅の知られていない事3つを紹介しました。

①神戸駅の忘れさられた過去。当初の駅が昭和19年に休止しています。
②神戸駅復活の理由。大規模な住宅開発により最寄り駅が必要になりました。
③消えた引き込み線を紹介しました。セメント会社撤退により
分岐線路が不要になり撤去の運命を辿ります。

神戸駅も含めて田原には廃線や廃駅を辿る観光の楽しさいっぱい。
是非、渥美線の廃線廃駅跡も含め神戸と田原を訪れては如何でしょうか。

最後まで読んで頂いてありがとうございました。